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Episode
子供の頃のエピソード

 

 

保育園時代、先生方からは「心のままに自由に描きなさい」「感じたままに描いて良いのよ」といった言葉をよく耳にしました。しかし、私はその言葉が心底嫌いでした。言われなくとも、描きたいものは山ほどあったからです。ただ、それをどう描けば良いのか、あるいは物の名前が分からなかったり、具体的に伝えることができなかったのです。結局、グチャグチャに描いてしまうと「すごいわね」と褒められていました。私はそんなつもりはなかったのに、と常に思っていました。

 

年長クラスに進級した時、初めて具体的に教えてくれる先生と出会いました。人を描く際に、人体は頭、からだ、腰、足、手など様々な部分から構成されていることを教えてくれたのです。以前は頭が大きくなってしまい、人らしく描くことができませんでしたが、そのことを意識するようになってから、動いている友達や自分を生き生きと描けるようになりました。ジャングルジムに登る友達、ジャングルジムの上に乗っている自分、今から登ろうとしている友達など、その作品は卒園アルバムの表紙に選ばれました。具体的なきっかけさえあれば、表現は広がると、その時に経験しました。

 

小学校1年生の時、檻に入った孔雀を描いた作品が児童画展の候補に選ばれました。放課後、先生と少し描き足して完成させる予定で制作をしていました。画面の下の方に顔を右に向けて横たわる孔雀を描いていました。画面上には余白があり、その余白は小学生ながらに、大切なものだと感じていました。しかし、先生からその部分に檻の柵を描くように言われました。なぜだと思い黙っていたところ、次はそこに空のようなものを描くように言われました。今なら、そこは空間としての余白であるということを伝えることができるのですが、その時はどう伝えて良いか分からず、太陽を描きました。先生は「とてもいい」と喜んでいましたが、私はなんだか悔しくて、最後にスマイルマークのように顔を描きました。眉をひそめて作品を眺めていた先生の顔が、今でも忘れられません。

 

作者の心に寄り添い、その絵を完成に導くことが大切なのだと、当時の先生から学んだように思います。作者に思いや言いたいことが何かしらあるということを前提にして、「自由にどうぞ」と言うのと、「ただ好きにやりなさい」と言うのとは違います。あの時の経験が、今に繋がっているのかもしれないと、時々思います。

 

studio FLATや出張指導先、自分が親として、子供達にあの時の先生のようになっていないか、このエピソードが戒めになるようにと願っています。

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